2022/03/19 00:24
明治八年創業の“讃岐の薬売り”岡内千金丹の流れを受け継ぎ、
食べる人を笑顔に出来る「美味しくてカラダに良いもの」を
コンセプトとした食品をお届けします。
イメージ画像(明治時代 売り子)
歴史紹介
讃岐の岡内千金丹薬売り
讃岐の国、香川県は瀬戸内海に面し、四国では本土に最も近く、本土と四国を結ぶ交通の拠点であり、気候は温暖、雨量には乏しいが、古来天災による被害は最も少ない風光明媚なところです。
その讃岐に、明治、大正を経て、昭和も戦前までの3代にわたって、全国に販路を広げた讃岐薬業、「岡内千金丹」の薬売りがありました。ここに言う薬とは、すなわち今日の家庭薬です。
この時代、讃岐は家庭薬王国と言われていて、最盛時には県下に大小300余の家庭薬
製造業者があって、その生産高は讃岐の重要産業のひとつでもありました。
この讃岐売薬の一つ、“千金丹”の歴史は、初代・岡内喜三が考案した事から始まります。“千金丹”は板になったチョコレート色の薬で、銀が塗ってあり、1センチ角に筋が付いていて、折ってしゃぶるようになっています。特に腹下りには良く効いたそうで、「永代記録」によると、明治天皇の伯母にあたる京都瑞竜寺の村雲尼公が明治20年3月に各地を巡釈して高松の日妙寺に泊まった際、尼公が腹痛を発されました。そこで、“千金丹”を差し上げ、服用したところ早速治ったので、大層お喜びになり、村雲尼公の名前を商標に用いる事を許されたとのことで、この後“千金丹”は大きく世に出回るようになるのです。
こうして“千金丹”を売るために、売り薬の行商人が、全国各地に出向いていくのですが、持ち物道具から、衣装、呼び声(歌)などにまでいろいろ趣向をこらして、各地の大人から子供までたいそう人気を博したそうです。
千金丹と染め抜いた白い洋傘、股引きをはき、大きな鞄を肩にかけて、歌を歌いながら
渡り歩く。当時の人の眼にはスマートな姿でゆっくり練り歩きながら声をテノールに張り上げて歌う文句は次のようなものでした。
本家はさぬき高松 岡内家伝の千金丹
そのまた薬の効能は 第一胃を整い熱冷まし
タンセキ・リウイン、胸痛み
しぼり腹には下りばら 頭痛めまいに立ちくらみ
せんき、せんじゃく胸痛み 子供方には御カンキョウ
舟車の酔いに二日酔い さぬきの東は琴平より
八里東の高松市 岡内家伝の千金丹
売り子の真黒クロスケー エ……エ……
行商人たちは、毎年春3月から高松を出発して、10月の高松の氏神さん岩清尾八幡
の祭り前に帰ってきたそうです。
人数は総勢200人ぐらいであったそうで、相当広範囲に販売網があったとされて
います。そして売り上げは、景気の良い年などは、1人で3、4千円の売上金があった
といいます。当時の薬価は1袋3銭、5銭、10銭でした。
北国では千金丹売りの白い洋傘が見えると、春がやって来たと感じたそうです。
こうして、讃岐千金丹の行商は大体明治20年頃に始まり、大正年間にかけてかなり
広く売り広められ、独特の行商であった為、各地の人々に強く、深く、印象付ける
結果となったのです。